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【特別展示】 なつかしの地車写真 第7回

このページでは、なつかしい高田の地車(だんじり)写真を特別展示しています。

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引き続き、大和高田市の匿名希望様所有の写真を紹介します。

今回も大変貴重な写真で、大正11年(1922年)頃と思われる本町一地車です。

写真をよくご覧ください……
大屋根正面に付けられた弓張り提灯の文字が「本壱」ではなく「本町一」となっています。
昔からずっと「壱」の字が使われてきたと思っていましたので、これは意外でした。
さらにもう1つ驚いたことに、
紅提灯やぼんぼりが、「本壱」でも「本一」でもなく、何と「西九」になっているんです!

「西九丁目」は、本町壱丁目の前の町名(丁名)。
大屋根の提灯だけが「本町一」になっていることから、
おそらく丁・字(あざ)名称の変更が行われた直後か、
新旧の丁・字名の併用時期(名称変更の過渡期)だと思われ、
高田町時代(明治22年4月1日〜昭和22年12月31日)の中ごろで、大正11年頃と推測されます。
また、地車前方でカメラに視線を向けておられる男性は、
「萬梅」という屋号で魚問屋を営まれていた坂口亀吉さんとおっしゃる方なのですが、
この方のお名前は、本町壱地車を製作した住吉大佐の『地車請取帳』という地車の売買
などを記録した帳面に残されています。
大正11年に近い個所に、
「奈良懸高田町五百八十三番屋敷 魚問屋 萬梅事 阪口亀吉様」 と書かれており、
これは、本町壱丁目(当時は西九丁目)が明治40年頃に当麻の大畑から購入した地車を
大正11年頃に大佐へ修理に出した際の記録ですが、
坂口亀吉さんは、当時、惣代(今の町総代)または地車の代表世話人をされていたのでは
ないかと考えられます。
もしかするとこの写真、修理を終えて地元に戻ってきた時の貴重な1枚かもしれません。

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