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【特別展示】 なつかしの地車写真 第1回

このページでは、なつかしい高田の地車(だんじり)写真を特別展示しています。

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第1回は、昭和3年(1928年)昭和天皇御大典奉祝の地車が省線の高田駅(現・JR高田駅)に集まっている様子です。
下の写真は、大和高田市・藤本憲一さん原所有のガラス乾板を中川俊一さんが管理委託・デジタル化されたもので、
今回お二方からのご許可を得て掲載させていただいております。
  ※このページの写真は所有管理者の方から「不許複製」を条件に展示許可が出ていますので、
                                    無断でコピーならびに加工・転載は一切なさらないようお願いいたします※

 

昭和3年(1928年) 高田町(当時) の省線・高田駅の広場(現・JR高田駅西口)に集まる昭和天皇御大典奉祝の地車


(右側部分の拡大) 奥から「本町壱」「高砂町」「本郷二」の3基。
一番奥の地車は、大屋根側面に掛かる紅提灯に「本」「壱」の字が見受けられることから「本町壱」と断定できます。
 また、昭和3年当時にはすでに現在と同じ五枚板になっています。
真ん中の地車は、大屋根の右側に掛かっている提灯の字から「高砂町」と分かります。
 余談ですが、この地車の屋根にいる人たちはカツラをかぶって女装しているように見えます。
一番手前の地車は、大屋根の提灯とぼんぼりの字から「本郷二」と断定できます。
 この地車はもともと個人所有だったといいます。

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【追記】
本町壱の奥にもう1基の地車があるのではないかとのご指摘を頂戴いたしました。
本町壱の奥に異なる意匠のぼんぼりがあることに気づかれてメールを下さいました。
早速、写真をさらに拡大してみましたところ、その方のご指摘どおり別のぼんぼりがありました。
(下の写真の黄色○印のところ)
ぼんぼりの字が「元」「一」と読めることから、かつて存在したと伝わる「元町一丁目」という地車が
奥に留め置かれているのではないかと思われます。
大変貴重なご指摘をして下さった方、本当にありがとうございました。



(左側部分の拡大) 町名(地区名)不明の2基。
奥の地車は、大屋根右側に掛かる提灯が「旭町」と見えるような気もしないのではないですが……
手前の地車は、小屋根に提灯をつけているところのようですが、その提灯の字が三文字で、真ん中の字が「大」、下の字の
 一部(偏)が足偏に見えることから「横大路」ではないかと個人的に推測しています。

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