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 本町壱地車の概要

  大和高田市の本町壱丁目町内会が所有する地車(だんじり)で、
  大阪住吉の名工「大佐」が手がけた唯一の五枚板式。
  略称 「本壱 (ほんいち)」。  [寸法]

 ■ 型式上地車 (住吉型 擬宝珠高欄式 すみよしがた ぎぼしこうらんしき
 ■ 大工=住吉大佐 (11代目川崎仙之助)
        ※ 見送り部分に 「細工人 住吉郡住吉村 大佐」の銘板
 ■ 彫師=小松一門
 ■ 歴史 
  ・地元の伝承では、明治7年(1875年)から3ヵ年かけて、明治9年(1876年)に完成。
  ・住吉大佐の『地車請取帳』によれば、明治15年〜20年(1882年〜1887年)ごろ
   大和國葛下郡磐城村大字大畑 ( 現在の奈良県葛城市大畑 旧・當麻町大畑 )
   に大佐が売り渡し。
  ・明治後期( 地元伝承では明治40年(1907年) )、高田町の西九丁目( 通称・南町
    のち本町壱丁目 )
が大畑より地車小屋とともに購入。町内の30人と牛2頭で
   高田の町まで曳いてきたと伝えられる。
  ・大正11年(1922年)に、町名が西九丁目から本町壱丁目に変更され、それと
   同じ時期に住吉大佐にて修理
    『地車請取帳』に、大正11年に近いところに「奈良懸高田町五百八十三番屋敷 魚問屋
    萬梅事 阪口亀吉様」との記載あり。
  ・昭和 3年(1928年)昭和天皇御大典奉祝の曳行に参加。 写真2
  ・昭和12年(1937年)、日中戦争のため曳行休止。
  ・昭和16年(1941年)、太平洋戦争開戦前で曳行休止。
  ・昭和18年(1943年)・昭和19年(1944年)は、太平洋戦争により曳行休止。
    ※昭和17年(1942年)は戦争中であったが、シンガポール攻略の戦勝を祝って曳行。
  ・平成 9年(1997年)4月13日、大和高田市「市制50周年記念パレード」に参加
    ※本町壱のほか「池田」「市町」「根成柿」「奥田」が参加し、市役所通りを曳き回した。
  ・平成16年(2004年)現在の場所に地車小屋を新築。
  ・平成17年(2005年)、岸和田の大下工務店にて大修理。
  ・平成22年(2010年)、町名旗 と 御祭禮幟(のぼり)を新調。
  ・平成26年(2014年)より、彫物をライトアップしての曳行を開始。
  ・平成29年(2017年)、コマを大下工務店の「組駒」に交換。サイズは1尺9寸

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本町壱地車 2010年10月11日 yoshi様撮影

本町壱地車 2010年10月10日 yone123撮影
[本町壱地車 写真拡大]
↓ 部位解説 ↓
[正面解説] [部位写真1]
[側面解説] [部位写真2]
[後方解説] [部位写真3]




 
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▼ 曳行日程のお知らせ
 平成28年の秋祭曳行は、
 10月8日・9日です。
  くわしくは → コチラ

 本町壱地車 雑記

 ■ 雑記

  [曳行] 子供たちが地車を曳(ひ)きながら高田の旧市街(旧・高田町内)を練り歩く、
       昔ながらのゆったりとした曳行(えいこう)
        * 町外の子供たちも自由に参加することができます。
        * 曳行に参加してくれた子供たちにはお菓子が配られます。

  [鏡餅] 曳行時、舞台正面中央に伊勢海老を乗せた鏡餅を飾る。→ 鏡餅の写真

  [化粧] 平成22年(2010年)に、町名旗 と 御祭禮幟(のぼり)を初めて装着して曳行。
        夜の曳行時にも装着する。→ 旗・幟の写真

  [衣装] 曳行衣装は、昔から変わらぬ浴衣に雪駄履き。→ 本壱衣装の写真1
        * 浴衣の紋様の「本」「壱」は本町壱丁目を、「南」はかつての字(あざ)名の南町を、
           「金」は町内の金刀比羅社を、「下がり藤」の紋は町内の春日社を表しています。

        * 浴衣の下に女物の長襦袢(じゅばん)を着る人もいます。→ 本壱衣装の写真2

  [囃子] 鉦(かね)・小太鼓・大太鼓で奏でる伝統的なリズム。祇園祭のお囃子が
       ベースになっていると思われる。
                         → 動画 平成21年10月11日午前 その1 参照

  [掛声] 「そ〜ら ひぃけ! もっと〜 ひぃけ! ひっけ〜 ひっけ!」が、
       綱をひく子供たちの昔からの基本的な掛け声。→ 動画 平成 9年 夜 参照
       地車周りの曳行者は、時折、「押したぁ 押したぁ!(押してぇ 押してぇ!)
       という掛け声をかけている。→ 動画 本町壱 掛け声(平成9年10月夜) 参照
       また、角を曲がる際には、子供たちが、「お〜 まぁ〜りゃ!(大まわりゃ!)
       という声をかける。→ 動画 平成24年10月7日夜の曳行 参照

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  [掛声] 本壱の長老K氏からお借りした昭和49年曳行時の録音テープには、
       「おうたぁ おうたぁ」や、「え〜らいやっちゃ そ〜ら〜曳ぃけ」というような、
       現在の本壱では聞かない掛け声があり、とても興味深い。

  [曳唄] また、そのテープには、曳行中の「農兵節(ノーエ節)」も収録されている。
       私が小学生だった頃(昭和50年代)にも、曳行後半に、
       「♪富士の白雪ゃ ノ〜エ ……」と唄われていたことを記憶している。
       現在、曳(ひ)き唄は唄われていない。 なお、かつての本町壱青年団の
       団歌の一つが農兵節であったという。

  [伝承] 平成10年頃に県へ提出された「ダンジリ・太鼓台等山車の県内所在確認
       調査票」には、この地車は、「明治7年、8年、9年の3ヶ年にて完成す」と
       記されている。

  [伝承] かつての本壱は全体に赤褐色の艶があったが、これは地車を日本酒で
       磨いていた(霧吹きで吹いていた)ためだという。

  [小屋] 小屋は、旧・高田サティ第2駐車場(現・タイムズ駐車場)の向かい側。
       → 小屋の写真
        * 小屋の北面はガラス張りになっていて、外から地車の一部を見ることができます。

  [お寺] 祭礼当日、午前中に小屋から出されると、横大路(伊勢街道)沿いの
       「長谷本寺」の境内に据え置かれ、そこから曳行が始まる。

  [提灯] 弓張り提灯は、赤帯一本に「本壱」 。→ 弓張り提灯の写真

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